木曽三川の河道変遷 (資料:KISSO Vol.59)

 

p8に掲載された木曽川の河道変化図が判りやすい。

 木曽川の河道は昔と今では全く異なっていた事を知っておかないと、
以降の「御囲堤」「輪中」「宝暦治水」などを理解する際にアレ?と
思う事になる。


 各務原市の前渡(伊木山の西、愛岐大橋が架かっている辺りの地名)から
北へそして西へと流れ、岐阜各務原ICから現在の境川の流路を辿って
墨俣(長良大橋付近)に至るのが嘗ての木曽川。 
・・・この流路付近も幾度となく嘗て通った場所ばかり。知ってから通って
いればもっと違った感覚があったのに!

・・・ここで長良川との合流地点が墨俣であった事が一夜城伝説を考える
上でも重要。逆にこの嘗ての流路を知らなければ何で墨俣?としか
思えない点でもあり。

 
 尾張国側では御囲堤の無い時点での木曽川は幾つにも分かれた川が
流れていた。

 
 天正14年(1586)6月24日に大洪水発生。
これによって、犬山~一宮~羽島の現在の木曽川河道が概ね出来る。
図を見ればココまで変わる?!と力の大きさに驚かされる変化。
 村によっては新木曽川によって分断されてしまったところもあり、
一宮市東加賀野井・羽島市下中町加賀野井、各務原市川島町河田町・
一宮市浅井町河田、羽島市正木町光法寺・木曽川町三ツ法寺、
これらがその名残。

 大洪水の年は既に豊臣秀吉の時代。天正10年には太閤検地も行われて
いた頃。彼は洪水による河道の変化を受けて、新木曽川の北側部分を
尾張国→美濃国へと移し、新木曽川を国境とする。
                                     2012-10-19