『ヨハニス・デ・レイケ』

 

 明治6年31歳で来日したオランダ人技師。30年滞在。
 当初は淀川の河川改修、更に木曽三川の改修に携わる。

 明治の木曽三川河川改修における恐らくは最重要人物。
 治水の為に、まずは山からの土砂流出を何とかせねば、と治山を呼びかけた。

 この事から「近代砂防の租」と称されているらしいのだが正直知名度は低いと感じる。
 もっと広く知れ渡っても良い人と個人的に思う。
 

 所有本『水の都と都市交通 大阪の20世紀』(成山堂書店、H15発行)に
よれば、淀川改修と大阪築港を担った彼は、大阪市内の都市交通に
ついても計画を練っていた。

 当時の大阪は今と違って縦横に水路が走っている都市であり、
水運を主、鉄道を従とする交通計画であったという。